私達が生きているこの世の中では、「なぜ何も悪く ない人達に、こんなひどいことが?」と思うような ことが起きるものです。例えば、米国のニューオリ ンズ市を襲ったハリケーン・カトリーナ。堤防を打 ち砕いた水流は、何千人もの命を奪い、何万人もの 人々は住む場所と飲み水を失いました。家や持ち物 の全てが、押し流されてしまったのです。けれども 不幸とは、このような大災害とは別に、日常生活の 中にも潜んでいます。突然の発病、事故、離婚、ま たは配偶者や子どもの死・・・。そのような苦難に 直面する時、私達は思わず叫ばずにはいられない のではないでしょうか。「なぜ?どうして私にこ んなことが?」と。「神様は私の辛さをご存知な のだろうか?そして私のことを気にかけていて下 さるのだろうか?」と考えずにはいられません。
イエス・キリストでさえ、この地上に おられた時、同じような疑問を持たれました。「 わが神、わが神!」と十字架上でイエス様は叫 ばれました。「どうして私をお見捨てになった のですか?」(マルコによる福音書15章34節) イエス様も、自分がどれだけ苦しんでいるのか を神様がご存知だったのか、そして気にかけて おられたのか、と悩まれたのです。聖書はイエ ス様のことを、「悲しみの人で、苦しみを知っ ていた」と記しています。(イザヤ書53章3節)
神様は私達が苦しんでいる時でさえ、
そば近くにいて下さいます
困難の真っ只中で苦しんでいる時には 信じられないかもしれませんが、神様は全てをご 存知です。そしてあなたのことを心にかけておら れます。神様はあなたのすぐそばにおられるので す。たとえ遙か遠くに感じられてもです。これは 本当です。なぜならイエス様ご自身が、次のよう に約束して下さっているからです。「私は世の 終わりまで、いつもあなたがたと共にいるので ある。」と。(マタイによる福音書28章20節) 神様はあなたが傷ついている時、共におられま す。「あなたが水の中を過ぎるとき、私はあなた と共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなた の上にあふれることはない。」(イザヤ書43章 2節) 神様は、私達が最大の試練や苦しみの真 っ只中にいる時にも、共にいて下さるのです。
でもそれがもし本当なら、どうして神様 は何もしてくださらないのでしょうか?どうして苦 しみを取り除いてはくださらないのでしょうか? まず最初に、こう考えてみてください。「神様は 何もしてくださらない」と、どうして言えるの か、と。神様のご介入がなければ、もっと悪い状 況になっていたかもしれません。私達の生きる世 の中では、悪がはびこっているのが現実なので す。聖書は、悪とはまさに悪魔から生じた結果だ と述べています。そしてこの悪魔は、生きるか死 ぬかの戦いを神様に対して挑んでいるのです。し かし聖書は、最悪の事態にならないようにと、神 様がこの悪の勢力を食い止めておられる様子を描 いています。黙示録の書には、四人の天使達が地
の四方の風を引き止めている場面があります。そ の天使達に向かって、天から別の天使が「風を解 き放って、地球を損なわさせてはいけない。」 と懇願しているのです。これは、私達人間をひ どい目に合わせたいという悪魔の願望がかなっ て最悪の事態が起きないように、神様が私達を 守っておられる、というメッセージなのです。
神様のジレンマ
次に心に留めるべきことは、神様には ジレンマがある、という点です。先ほども述べた とおり、私達が生きるこの世の中では、悪が存在 しているのが現実です。神様と正しい者に対し て、悪魔はすさまじい戦いを仕掛けています。そ して、私達に幸福をもたらすものを滅ぼし、私達 をも滅ぼそうとしているのです。しかし、神様は 悪魔よりも強いお方ですから、最終的には神様が この戦いに勝ちます。罪と悪と苦しみが、この 地球、そして全宇宙から、全く取り除かれる日 が、いつか来るのです。でもその時までは、悪魔 に痛みと苦しみと死をもたらす力があります。
神様のジレンマとは何でしょう? そ れは、「どうしたら、私達人間に自由な選択肢を 与えながらも、悪魔に打ち勝つことができるの か?」ということです。人間が自由意志を持って 善か悪を選択できるということは、神様にとって は、どんな代価を払ってでも守らなければならな い大事なことだからです。もし私達が、自分の意 志で神様の側を選ぶことが出来ないのならば、悪 魔が勝つことになってしまいます。なにしろ悪魔 はこの世の始めに、「神様は独裁的で、自分勝手
に服従を強いる」と非難していましたから。そし て自分が神様の代わりになろうとしたのです。
どうして私が?
困難にあって苦しむとき、「どうして私 が?」と思ってしまうのは自然なことです。人生は 不公平だ、と感じることも少なくありません。どう してある人達の人生は楽で幸せそうに見えるのに、 他の人たちには悲惨なことが起こるのでしょうか? 同じような事故にあっても、どうしてある人達は 無傷で生き延び、ある人達は命を落とすのでしょ うか? どうして神様はある人達には奇跡を起こ し、ある人達にはそうなさらないのでしょうか?
このような問いに対して完璧で満足 な答えは、ありません。しかし、これだけは覚 えておかねばなりません。奇跡を起こす力、そ して奇跡が起こる理由は、全て神様の手の中に のみある、ということを。神様だけが、全体像 を把握しており、全てを良きものと変えるこ とができるのです。「神は天にいまし、あな たは地におるからである。それゆえ、あなた は言葉を少なくせよ。」(伝道の書5章2節)
このような境遇に面した時、たとえす ぐに答えがわからなくても、神様が答えを知って おられることを信じて、天国で神様に直接たずね ることができる時まで待つしかありません。天 国の岸辺から、この地上での一生を振り返る時 に、人生の中で起こった様々な出来事の意味や 理由が初めて解明され、「今のこの時の苦しみ は、やがて私達に現されようとする栄光に比べる と、言うになりない。」(ローマ人への手紙8章18節)という聖書の言葉に納得がいくようにな ります。今はそれを信じることしかできません。 悪魔の挑戦に対する神様の答え は、その独り子を私達のためにお与えにな ることでした。それは、イエス様が私達と 同じようにこの世で生き、そして私達の ために十字架で死ぬことだったのです。 今、あなたも私も神様を取るか、それ とも悪魔を取るかを選ばなくてはなりません。悪 魔は「神様は圧力をかけて、無理やりに神様に従 うことを選ばせようとしている」と非難するかも しれません。しかし神様は、その選択が自由意志 によるものであり、かつ正直なものであることを 望まれています。私達の選択の自由が、神様に とっては非常に大事なのです。しかし、これが 神様のジレンマの元でもあります。それは、私 達が自由に選択できるということは、私達が悪 を選ぶ可能性もあるからです。そして、互いに 傷つけ合うことを選ぶこともできるからです。
る場面が描かれています。何千、何億もの天使 達が、イエス様の後に従っていきます。悪魔に 対する神様の忍耐が、限界に達したのです。
最後の戦いは、短いものです。悪魔と 悪に従う者達は、全て捕らえられます。悪魔が滅 ぼされる時、悪も完全に消え失せます。憎しみ、 暴力、テロリズム、虐殺、殺人などが全て終わ ります。悪魔が引き起こしてきた、様々な心痛 や悲劇は、大小を問わず全てが終わるのです。
苦しみの終わり
聖書は、「罪は再び起こらない」と約 束しています。(ナホム書1章9節) 神様が全 てを新しくされると、そこには記されています。 私達も含めて新たにされるのです。「神自ら人 と共にいまして、人の目から涙をぬぐいとって くださる。もはや、死もなく、悲しみも、叫び も、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去った からである。」(ヨハネの黙示録21章3節4節)
自由の悪用 神様は、あなたが苦しんで
ですから、ある人達が悪を選んでも、驚くには及 びません。しかし、その結果として、苦しむ人が 出てきてしまいます。若い母親が癌で息を引き取 る時、結婚が破綻する時、幼い子どもが車の事故 で命を落とす時、何らかの理由であなたが傷つく 時、それは悪魔がまだ神様に戦いを挑んでおり、悪 魔がその戦いにおいて勝ったことを意味します。
しかし聖書は、最後には神様が勝利 すると断言しています。黙示録には、イエス様 が乗った勝利の白い馬が天国の軍勢をリードす
いることを、心にかけて下さってい るのでしょうか? もちろんです。 神様はその苦難に対して、何かしてくださる のでしょうか? もちろんです。あなた個人 のために、そしてこの世全体のためにもで す。そしてこう約束してくださるのです。「 わたしは、決してあなたを離れず、あなた を捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節)